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Inger Johanne Rasmussen 「花色の帰郷 ―ノルウェーから日本へ」

Inger Johanne Rasmussen 「花色の帰郷 ―ノルウェーから日本へ」

ノルウェーの国民的アーティスト、インゲル・ヨハンネ・ラスムッセンのフェルト・アートの世界

2013/02/13

レポーター:渡邊 直子

ノルウェーを代表するテキスタイルアーティスト、Inger Johanne Rasmussen(インゲル・ヨハンネ・ラスムッセン)の展覧会『花色の帰郷』が、2012年11月22日から12月2日にかけて青山スパイラルで開催された。オスロを拠点に活動するインゲルの作品は、ノルウェー国立美術館所蔵のほか、病院やホテル、公共施設等でパブリックアートとして飾られ、国民的なアーティストといえる。エドヴァルド・ムンクの《叫び》を所有していたノルウェーの実業家・ピーター・オルソンが、インゲルの『The Forest』を購入したことで、今後さらに作品への評価が高まるだろう。日本でインゲルの作品が展示されたのは今回が初めてということもあり、非常に注目を集めた展覧会となった。

数千のフェルトピースから成るテキスタイルアート

Wheel of Fortune(2012) / インゲル・ヨハンネ・ラスムッセンとともに
Wheel of Fortune(2012) / インゲル・ヨハンネ・ラスムッセンとともに
One Hundred and Eleven(2011)
One Hundred and Eleven(2011)

今回紹介された作品の多くは2メートル程の高さがあり、目の前に立つと自ずとその世界に誘い込まれてしまう。遠目で眺めると絵画のようにも見えるが、実際は500~1000を超えるフェルトピースを縫合したテキスタイル作品だ。華やかな印象を放ちつつ、どこか見る者の心を揺り動かす。作品を構成する平面と立体、暖色と寒色、簡素と豪奢、現実と夢想。すべては対をなすものだが、それらが共存することで作品に奥行きを与えている。

ノルウェーでは国民的なアーティストのインゲルも、日本での知名度はまだ低く、2009年に出版された『リテリング-フェルト・アートの世界』(青幻舎)で、その名を知られることとなった。企画・編集を手がけたのは若井浩子氏。オスロの美術館でインゲルの作品集に出会い、その魅力を伝えようと日本に持ち帰った。出版企画を練り、日本で書籍を刊行すると、若井氏のもとに「インゲルの作品はどこで見られるのか?」と問い合わせが届くようになる。「日本では作品を見ることが出来ない」。その返答を度々繰り返すうちに若井氏は展覧会を企画しようと決め、2009年の春から準備を開始する。そして2012年冬、3年越しで展覧会『花色の帰郷』が実現した。

22歳でアーティストとしての創作活動を始めたインゲルは、早い時期にテキスタイルを表現方法の主とし、知識や技術の習得に熱中する。この選択が人生の中で貴いものとなり、「テキスタイルによって自らの芸術的な情熱や感度が研ぎ澄まされた」とインゲルは語る。

「人間が初めて意識する“美”は、母親が着ている洋服など身近に存在する布からではないかと考え、作品に取り入れ始めました。初めての展覧会で80代の女性が声を掛けてくれ『あなたの作品を見ると、母親を思い出す』と涙を流すのです。かと思えば、ヒップホップスタイルの若者たちが『変わったテキスタイルで、格好良かった』と私の作品について話したりもします。そのような経験から、年代に関わらず多くの人がテキスタイルに繋がりを感じていることに気付きました」

アジアからのインスピレーション

Sleepwalker(2012)
Sleepwalker(2012)

“ヨーロッパの伝統をモダンに表現すること”に重きを置くインゲルの創作に、多大なインスピレーションを与えたのが18世紀のテキスタイルだ。「ビザール」と呼ばれたそのスタイルは、1700年代初期のイギリスにおけるテキスタイルデザインで、交易のあった東洋から影響を受けている。

「当時シルクロードを渡り、白磁の陶器、扇子、漆器など様々なアジアの文化がヨーロッパに入って来ました。それらがヨーロッパ人の感覚にぴたりとあてはまり、融合したのですね。その時代に誕生した芸術はフレッシュで刺激を受けます。例えばノルウェーで誕生した伝統模様の中にも、アジアに起源を持つものがあります。描かれたモチーフを細かく調べると、ノルウェーでは自生していない植物があるのです」

今回の展覧会名にもある『花色』とは、花々の色彩だけでなく日本の染の淡藍色(はなだいろ)も意味する。インゲルが表現するヨーロッパの伝統にはアジア文化が含まれており、その作品が東京に戻ってくる意味を込め『花色の帰郷』と名付けられた。

作品の背景にある物語

The Forest(2011)
The Forest(2011)

作品に登場するモチーフは実に様々だ。植物、格子柄、水玉模様、アーチや階段、ブロック、小さな人間。それらが独特の色彩と構成で、平面と立体の軸を往来する。どの作品も各々が持つ物語の終着点を目指して表現されたものだ。

「世界各国で語り継がれる昔話に着想を得ることが多々あります。ノルウェーの国民的作家であるTerje Nordby(テルユェ・ノルドビィ)が、様々な昔話を教えてくれるのです。例えば、ある宗教には「天国に行くためには、良い行いをしなければならない。良い行いをしなければ、良い場所へ行けない」という概念があります。その概念は正しいとされる一方で、現実世界において歪んだ解釈で悪用もされる。『The Forest』は目に見えない恐ろしさの中を、歩み進むことを意味しています。すべての作品の背景には物語があるのです」

インゲルが表現する世界の裏側には、深く長い年月が流れている。それらは、ともすると何事もないかの如く通り過ぎるものだ。しかし彼女のフィルターを通して再構築されることで、また私たちの心を揺さぶり、何かを問いかけているようだった。

手前:Flying Carpet(2012)
手前:Flying Carpet(2012)
Target(2011)
Target(2011)

Inger Johanne Rasmussen(インゲル・ヨハンネ・ラスムッセン)

1958年、ノルウェー、クリスチャンサン生まれ。ベルゲン国立芸術大学卒業。織物、染め物、キルトと創作の幅は広く、ファイン・アート作品の多くが国立美術館等のコレクションとなる一方、プロダクト・デザインの分野でも活躍する。90年代後半に、フェルトを素材に独自の染色、縫製技術で創作するアートを確立し、作品を制作・発表している。織りの基礎と応用を解説した著書「VEVBOKA-TEXTIL OCH REDSKAB」(テキスタイルと道具)は、本国ではテキスタイルの教科書にもなっている。

http://www.ingerjohanne.no/

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